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『チ。-地球の運動について-』の最終巻に出てくるラファウ先生は何者なのか

      2025/02/05

最後に記事を書いたのが2023年の7月19日なので、実に一年半ぶりにブログの記事を書くことになる。

今回は、2022年6月30日に最終巻が発売され、今現在絶賛アニメ放映中の『チ。-地球の運動について-』に関する考察を、少し書いておこうと思う。
普段は本の後書きは読まないし、人が書いた考察なんてもっと読まない。もはや、自分がマンガの考察をするなんて事は絶対にないと思っていたのだが、今回ばかりは色々と考えてみたくなったので、記事にしてみました。

ここから先は、ネタバレを豊富に含むので、マンガやアニメを最後まで見ていない人は、『あとで読む』につっこんで、完走後に再度アクセスいただけると幸いです。

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この記事を書いている人
ー ひょさか ー
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マンガ最終巻に出てくる『ラファウ先生』とは誰なのか

マンガの最終巻である8巻、アニメだと24話くらいだろうか、最後の主人公の回想の中で突如として現れるラファウ。『ん?』『なんで?』と違和感マシマシの気持ちが生じながらもとりあえず読み進めていくと、初期のラファウではなく、どうやら青年サイズになっているラファウのよう。そして先生としてアルベルトに色々と勉強を教え、最後にはアルベルトの父を殺害する。
好青年で、地動説の感動を次に託してカッコよく散っていった初期のラファウとはだいぶかけ離れたような人格となっている。

誰なんだこのラファウは。本人か?類似の人物か?

私はマンガのリアタイ勢ではないので、当時の論争はよく知らないが、これからアニメも終盤に入り、同じような論争が再度盛り上がる気がするので、このラファウ先生が誰なのか?という問いに対しての自分なりの仮説を書いておこうと思う。

ラファウ先生はラファウの親族という仮説

結論から書くと、ラファウ先生は、初期ラファウの親族なのではないかと考えている。
根拠も多少あるが、その説明の前に、私のこのマンガに対するスタンスを書いておこうと思う。

まず、この記事を書くにあたって、色々な方の説を読ませてもらい、非常に参考にさせていただきました。そして、大体数の説では『パラレルワールド』や『if』という表現で、このラファウ先生が誰なのか?という問いに答えていました。

パラレルワールド説がどういうものかを平たく言うと、1巻からしばらく続く15世紀前期のP王国と、最終巻で出てくる1468年のポーランド王国は別世界のものという考え方で、スッキリ感をあえてなくし、真理を求める側だけが正義なわけではないよ、ということ暗に示している、というもの。

う〜むなるほど、と思う一方で、パラレルワールドという概念は、このマンガのストーリーとして美しくないような気がするし、結末としては気持ち良くないとどうしても思ってしまう。
フベルトに『この真理は美しいか』と問われ、『あまり美しくない』と返したラファウのように、このマンガは最初から最後まで一本の筋でキレイに繋がっていて欲しいと願ってやまない。

もはや『俺は地動説を信仰してる』と言ったオクジーのような心持ちなのかもしれない。

ということで、異論反論があることはもちろん承知ですが、私は、このマンガはパラレルワールドは使わない、最初から最後まで気持ちよく一本の世界で表現し切っている、ということを信じて、先ほどの結論の根拠を書いていきます。

物語の世界観について考えてみる

数字上の話と、世界観の前提について考えてみます。

1巻での15世紀前期のP王国と、最終巻の1468年のポーランド王国について。
1巻から8巻で35年が経っているので、1468-35=1433年=15世紀前期と、数字上の齟齬はありません。

1巻から7巻でP王国やC教のように名称をぼかしているのは、史実として実際にあったわけではなく、あくまでフィクションとして物語を進めるための配慮として、そのように記載をしていると考えています。
いくらフィクションとはいえ、実名を出して迫害の物語を書くのはあまり歓迎されない世の中ですからね。
実際、教会批判に対する弾圧はあれど、地動説そのものに対する弾圧などは、歴史的にもあまりなかったという話もありますし。

そして、1巻でのP王国の表現と、最終巻のポルトガル王国の表現が限りなく似ていることはどう考えるか。
弾圧があったかもしれないフィクション上のP王国から、弾圧があったかどうかは関係なく限りなく史実よりのポルトガル王国に話を移していくに従って、年代の表記や王国の表現方法を揃えることで、P王国とポルトガル王国は同じものということを間接的に示し、物語に一体感を持たせているよう読めます。
また最終巻で1468年という数字を出すことで、今までの部分はともかく、ここから先は史実に寄った記載にして、読者に親近感を持たせるようにしていると感じました。

なので、あくまで物語としては真っ直ぐ1本の時系列で繋がっていて、単純にフィクションorノンフィクションで表記を変えているだけです。

何より、『ポトツキに1割を寄与をする』旨の手紙が旧ポトツキ家に届いていることが決定的です。これは、初期ラファウが残した手紙から、オクジー、ドゥラカを経て託されいった一文であり、P王国での出来事を表すこの文言がポルトガル王国という舞台に出てくる以上、P王国とポルトガル王国は繋がっていると考えられます(シリアルワールド?)

結局ラファウ先生って誰?

物語がパラレルワールドではなく、シリアルワールドな場合、1巻で亡くなったラファウと、最終巻で再度出てきたラファウ先生はどういう関係なのか。そこを詰めていきます。

シリアルワールドな場合、その2人は絶対に同一人物ではありません。同じく最終巻で、ノヴァクの走馬灯として出てくるラファウとは訳が違います。

1巻で12歳のラファウ、35年からアルベルト現実から幼少期の回想分の10年くらいを差し引いて25年くらいでしょうか。そうすると、ラファウが生きていた場合12+25=37歳になります。若作りしているかもしれないが、ラファウ先生の見た目にはあまりそぐわないです。
そもそもな話、1章でノヴァクに焼かれて亡くなっていますし、なんとかかんとかしてご本人に生きていてもらっていたとしても、それはそれでストーリーとしてはあまり美しとは思いません。

別人の証拠として、手の組み方が違うところも私は前面に出しておきます。

ここまでをまとめると、P王国とポーランド王国は同一の世界観。ラファウとラファウ先生は別次元の人ではなく、同じ次元の単なる別人です。

と、なるとこれほど似ている2人の関係は何なのか?ドッペルゲンガー?他人の空似?

色々と候補がある中、2人の関係は親族、というくらいがしっくりきます。

ラファウの背景を考えてみると、1巻で、『孤児として生まれ、詰み要素満載だった』と言っています。
また最終巻のラファウ先生も、『生まれが少々特殊でね、親がいなかったんだ。幸運にも学者さんに拾ってもらえて、裕福な生活を遅れた』と言っています。

両者とも同じことを言っているようにも見えますし、似た境遇で、別で育っているようにも読めます。学者さんがポトツキを指しているかもわかりませんし、詰まるところ、ラファウの出自についてはかなり謎ということで、想像の余地が多分にあります。

それこそ、ラファウとラファウ先生は兄弟、もしくは従姉妹かなにかで、ラファウはポトツキに引き取られて焼死、ラファウ先生は別の学者さんに引き取られ、大きくなったあと、先生になっているかも。

『ラファウ』というのが、名字なのか、名前なのかはよくわかりませんが、仮に苗字の方で名乗っていたのだとすれば、ラファウとラファウ先生が同名なのは、ありうるのかもしれません。

まとめ

ということで、ラファウ先生が誰なのか?という問いに対する仮説は、1巻のラファウの親族とさせていただきます。
このマンガの世界観はシリアルで一本続きになっているという仮定と、ラファウが1巻で亡くなっている事実、そしてラファウとラファウ先生が孤児であるという特殊な生い立ちからこのような説を立てました。

この説を石棺にこっそりしまって置いておきますので、この記事を読んだ方に完成を託します。

『地動説は、恐らく証明できない。不確定要素が多すぎる。だとすれば、この不完全な説は消えるべきだ。しかし私は未練がましく燃やす勇気を持てず、さらに傲慢にも私より優れた人間に焼却されることを望んだ。それが貴方だ。貴方なら燃やせる。貴方の“理屈”は、私の“直感”よりずっと強い』

この記事を書くにあたって、下記の記事を読ませていただきました。
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ー 著者:ひょさか ー
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